ワインは果物を発酵させただけのシンプルな、アルコールを含んだ飲み物です。

同じように、お米を原料に発酵させた(醸造した)清酒はというと、お米を砕いただけではアルコール発酵はしません。デンプンを糖化させ、酵母を植えてアルコール発酵させてあげなければなりません。そこには人間の手助けがどうしても必要です。よい原料米を得ることは大事ですが、米を磨き、麹を育む等、が主役となります。

ワインは果物が原料ですから、果物に含まれているそのままの糖分自体が酵母の働きによって炭酸ガスとアルコールに分解され、分解されなかった水分その他のエクストラクトとアルコールによってワインとなります。炭酸ガスは空中へと飛散してしまいますのでワインにはほとんど留まりません。ぶどうの場合は、酵母は果実に存在してますのでつぶしておいとくだけで発酵は始まってしまいます。だからといって放っておいただけでおいしいワインになるものでもないですから、誰が造ったのかも大事です。ということで、ワインは原料となる「ブドウ」そのものの性質がもっとも重要ですから主役は「自然」=「天のめぐみ」ということになります。「最良の」と評される生産者は自然の前に謙虚に振舞います。

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自分にあった美味しいワインと出会うには、ワインのラベルを読み取ることが・・・・・・             国・・・地方・・・地域・・・・区域・・・畑の名・・・・つくった人が身近に感じられる・・・  イヤ!これは、スーパー向けラベルだぞ・・なんてねっ・・ 

たとえば、ブルゴーニュ・ワインを例にすると、「畑」と「造り手」と「年代」の組み合わせを、面白いと思うようになれるには、ラベルに書かれている情報を読み取ることが不可欠です。

同じ名前の「畑」であっても、所有者が異なればワインのスタイルも変わってこようというもの。「クロ・ド・ヴージョ」にいたっては、理屈では「70」以上」のラベルが存在可能です.。なぜなら、単純に考えて同じ名前の畑の所有者が70人いて、それぞれがワインを元詰のワインとして売るようなことになれば同じ畑の名前を冠した70のラベル。ネゴシアンに売却することになればその業者の数が増えることでも同様!!そして、クロ ヴージョともなれば、どれもが「自分のが最高」というに決まっているのですから・・・。そして、ごひいきのワインは人それぞれであるように現地でも意見が分かれてます。

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もううんざりの方はここらで「さようなら」です。

もう少しお付き合いいただけるなら

フランスのブルゴーニュ地方ではコート・ドールにおいては赤ワインにされるブドウとして(クローン?の呼び方の違いはあるとしても)ピノ・ノワールが栽培されています。単一ぶどう品種「ピノ・ノワール」でその品種に適した土壌と気候によっても地域の隣接した場合でも「造り手による違い」があります

造り手といってもワインの造り方の違いだけをさすのでなく・・・

機械で収穫する場合と手で収穫する場合(地域によっては手積みがお約束のこともある)があり、結果としてワインに違いとなって表れるのです。

剪定を長くする人、短くする人、ヘクタール当たり3,000本植える人、5000本植える人。有機栽培する人、化学肥料を使用する人や適宜を唱える人たち。収穫の時期の早い人、よく待つ人。それによってぶどうの熟成度も違います。20年以上の樹齢になって収穫が落ちればすぐに植え替えたがる人、ヴィエイユ・ヴィーニュとしてスペシャルキュベの道を選択する者、ぶどうの選別の厳しい人や程ほどの人。収穫量も変わってきます。

醸造の方法もそれぞれで、温度管理のこと、選んだ酵母菌を使用する人、発酵槽もステンレスと木樽では違います。これらを決断することで、最終的に「私の誇り」であるワインに違いがでてきます。

ですから、ワインのラベルが読めることが自分の好みのワインと出会うのに大事かということをお分かりいただけたと思います。

一番大事な読み取る項目は「だれが造った」を観れることです。次にだれが輸入したかということでしょうか?   

言い換えると、こおいうことになります。

個性は土地から、味わいは造り手から

”ワインは自然の力だけで造るもの”

ワイン造りはビジネスです。私も家族を養わなければいけないし、経営の為には資金を回転させることも必要です。ただ、それを超えたところにぶどう栽培とワイン造りへの熱意、愛情があります。

ヴィティキュルチュール・ナチュレ(自然派の栽培法)=ビオディナミ

化学肥料は一切使わない。除草剤も使わない。畑には堆肥を使用。土に活力を与えます。いろいろなバクテリアが相互に食い合うという自然の働きによって土に命を与えようというわけです。たとえば、ぶどうの樹に病原菌がついても、土の中のバクテリアが食べてくれるという方法です。ぶどうは樹齢の高いもの(ヴィエイユ・ヴィーニュ)を使用します。当然、老木ですから収量は落ちることになります。自然栽培、ヴィエイユ・ヴィーニュ、それに少ない収穫量という三本柱がその哲学です。この方法でワインを造ると金儲けになりません。つまり、ワイン造りに対する熱意、愛情をお金に優先させているのです。醸造には培養酵母を使いません。ぶどうには自然酵母がついています。さらに、このような栽培方法をとれば必然的にワインに個性が備わることになるので木樽を用いて個性を補うということをしない場合もあります。

現在、世界中でブドウがたくさん栽培されていますが、それぞれが独自性を持たずに、よそのまねをするという格好で広がっているというのが現実です。そして、それらには地域の独自性が感じられません。そこに植えられているぶどう品種は、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、ソーヴィニヨン・ブラン、シラーやカベルネ・フランというところでしょう。近い将来地球上には数種類しか栽培されなくなるのではないかと思ってしまいます。それらのぶどうの樹は約20年で抜いてしまうでしょう。20年経つと収穫量が落ちてきますから。そして、オークの新樽を使ってバニラの香りをつけ、ラボラトリーで培養された酵母を使ってワインとなる。このように地球全体が同じ顔をしたワインだらけになることが耐えられますか。まるで偏差値で輪切りにされて無個性化された人たちと、偏差値に振り回され、偏差値は廃止といいながらそれにしがみついているしか能のない人たちのいいなりになっている社会のようではないですか。

ワインのラベル(エチケット)について

大事な事はフランス等のワイン産業の確立された国では記載できる項目は綱目です。ワイン法とも言うべき「現産地呼称法」によって定められています。

何が「おやくそくごと」なのか。その土地で伝統的に造られてきて、歴史的に選択された=おおまかには土壌の構成、気候、ブドウ品種等がその土地の表示をする事で保証されるということです。つまり、ラベルに書かれた「ワインの名前」はフランスではほとんどワインの原料のブドウが栽培された「地名」です。そして、「シャブリ」と表示してあればブドウの品種は「シャルドネ」100%(お約束)ということになるのです。

 

ラベルの「」に戻れば、

Appellation CHAMBERTIN Controlee

CHAMBERTIN は「シャンベルタン」と読みます。

フランス・ワイン=ブルーゴーニュ地方=ジュブレィ・シャンベルタン村=シャンベルタン畑(Cru)Grand Cru

 

 

 

そして、小さな字 Grand Cru は「グラン クリュ=特級」と読みます。クリュは境界のはっきり分かれた区画とか畑を指します。ブルゴーニュ地方には村と称されるなかにクリュがあります。ジュブレィ・シャンベルタン村には「グラン クリュ」「プルミエール クリュ=1級のクリュ」もあります。また、格付けはされてなくても「クリュ」を表示することもありますが Grand Cru や 1er Cru の記載はされません。

また、このラベルの絵の上に掲載した「ボーヌ村」には「グラン クリュ」はなく「プルミエール クリュ」があります。

 

 

 

 

Domaine A.ROUSSEAU ドメーヌ A.ルソーの「Domaine」とはこのワインの生産者の表示です。ドメーヌは「シャトー」と同じ意味です。畑の所有者が自ら栽培したブドウのみを使用してワインを造り瓶詰めまでおこなって初めて表示できるのです。

 

 

次の章は前の章とは天と地ほどの差のある話題になります。

そして、いまでは目にする事の少ないだろう?ワインのお話です。ワインを愛する人が「多くのあたりまえの良いワイン」を愛すればこそ、誤解によって脚を引きずられるかもしれないから「こんなモノ(ワイン)を語ることでもいっしょに比較されてはたまらない」と思っていたとしても、知っているけれど語れないモノの話です。一度初めのページへ戻って「リシーヌ氏」のことばを確認してからお読みください。 

普通のワイン飲みが、偉大なワインを毎日飲むことは不可能だ。もしできる余裕があったとしても、すぐ充分行きわたるわけがないとわかるだろう。しかし、「健全で正直なワイン」は充分にある。消費者が、正直なラベルによって、産地のはっきりしたワインが選べれば、楽しみは2倍になるだろう。

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